2015年3月30日月曜日

9.私たちの立ち位置

まずは、銀河というか宇宙全体における私たちの立ち位置を確認しておきたいと思います。

銀河宇宙の中での地球人の立ち位置を考える時、

だれもが目で見て確認でき、体感できる宇宙のスケールをまず第1にみてみましょう。

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私たち、人間の大きさは約1mです。

それに対して、大きなスケールを観ていきます。

地球、太陽系、銀河系、宇宙といったように大きなスケールでものを見る時の単位としては、光の速度(およそ秒速30万km)でどの程度の時間がかかったかによって、表すことが多いです。

それで表すと、太陽系は光の速度で約1400時間かかる距離です。

宇宙全体は、最新の観測によれば137億年の年齢を持っていることが知られているので、われわれの望遠鏡の精度が最大限上がったとして見える距離は、光で137億年かかる場所までということになります。

これは、メートルのオーダーに換算すると
10000000000 0000000000 0000000メートル(10の27乗メートル)になります。
このオーダーが我々が現在のところ知り得るスケールの最大になります。

その外側に別の宇宙や空間が広がっているとしても、直接観測することはできません。



そして、細かな世界で言うと、電子顕微鏡を使うと、原子の1粒1粒の大きさまでが現在、工学的な手段を使って認識できる世界の限界で、

これは
0.0000000001m(10のマイナス10乗メートル)になります。
このオーダーが我々が現在のところ知り得るスケールの最少になります。
なお、理論的には、物質の最小単位は、
0.000000000000000000000000000001メートル(10のマイナス35乗メートル)であることが知られています。


ですから、おおざっぱに言えば、人間の1mというのは、知られている物質や空間の最小スケールと、最大スケールのおよそ中間あたりのスケールであるとも言えるのです。

詳しくは以下に解説動画がありますので、ご覧ください。







2015年3月17日火曜日

8.このブログに書かれる内容のこと

銀河地球人学校の当ブログに書いていく予定の内容について簡潔にお伝えします。

このブログでは、銀河地球人すなわち銀河コミュニティに入っていくために必要となるであろう知識や知恵、インテリジェンス、考え方に関することは何でも書いていきます。

また、それに関連する知識などについても触れることがあることでしょう。


基本は、「地球人はやがて銀河コミュニティの一員になる」ということです。


これは時間の問題です。



明日すぐにということではないでしょう。

しかし、数千年先ということもないでしょう。



いつ、誰の役に立つかもわかりませんが、こうした視点で記述されたブログが、この世界にあることが今は必要なことだと考えています。


2015年3月16日月曜日

7.銀河地球人学校を始めた理由ーその4

銀河地球人学校を始めた理由シリーズの4回目です。

昨年から今年の流れについて、ご説明したいと思います。

東日本大震災が、転職の間接的な理由であるお話をしました。
この日本もそうですし世界も。
混沌とした中で、誰もが個人の在り方、世界の在り方を変えねばならないと感じている・・・・

転職で一番に取り組みたかったことは、教員改革でした。
特に日本社会が現在抱えている様々な問題の根底には教育があることは私の中で明らかでした。
それを、所属している学校内から変えていくにはエネルギーと時間がかかるのと、通常業務をしながらでは、そこに集中できないことは明らかでしたので、転職包囲網は自分の周りの環境からもやってきました。
仕事の環境をがらりと変えなければ自身の成長もないと感じられたのでした。

これは、就職当時には全く想定していないことで、定年までは教員を勤め、定年後も何らかの延長上に教員という仕事がありましたので、定年を十年以上残しての早期退職は3年前にしても考えていないことだったのでした。


さて、実際に退職、独立し、1年間は大学の非常勤講師をしたり、教員時代にお手伝いをしていた仕事の延長などをして1年があっという間に過ぎました。教員改革、学校改革などの仕事は一部できたものの、他のことでエネルギーや時間をとられていた実態がありました。

独立1年目の終わりあたり、すなわち2014年の2月末あたりから、自分の教員生活時代を総括し、私がいなくなったとしても残せる何かを制作しておきたい欲求がありました。動画教材をインターネットに載せることを考え、「どんぐり教員セミナー」という名称で200本の教員向けの動画教材を制作しネット上で無償提供することにしました。10か月かけて制作し、目標である200本を達成しました。教員向けに特化した動画コンテンツではかなり大規模で網羅的なコンテンツになり、初期の目標を到達したように思われます。

実は、この制作が2/3を過ぎたあたりから、この銀河地球人学校の構想が浮かんできました。

教員改革で言えば、文部科学省がアクティブラーニングを推奨し、大学でも双方向の講義などが導入されつつあり、いわゆるアーリーアダプターと呼ばれる先駆者の先生が、新しい教育については全国各地で実践したり学び合いが急激に盛んに行われるようになってきたのです。このプロセスは今後ももっと加速していくことでしょう。


自分の役割がシフトしてきているのを感じました。
教員向けだけの活動では足らない・・・・

これからは、”地球人全体の学び”をどうするか?というスコープを持ち、提供する人が必ず必要になってくる。
グローバル化とはよく言われますが、これは国や地域単位、あるいは企業目線の利益を考えた言い方に思えます。

そうではなくて、まさに善き地球市民ともいうべき、地球人学が必要なのです。
思考・行動の”ユニバーサル化”です。

高い精神性を伴っていかなければ、この先の地球の存続は難しい・・・
もちろん、地球自体は人類がいなくなったとしても存在し続けるわけですが、他の生物とともに多様性のある豊かな地球をなるべく維持していく、あるいはそうした発展した未来に向けた思考や行動が一層求められるのですから・・・


銀河地球人学校は、そのようにして生まれてきました。

2015年3月15日日曜日

6.銀河地球人学校を始めた理由ーその3

銀河地球人学校を始めた理由シリーズの3回目です。

今回は大学院修了から社会人にかけてのお話です。

大学を卒業する頃、大学院に進むか就職するかという選択があったわけですが、今や大学で本格的な研究をするには学部だけでは全然不足であり、大学院に行くというのは当然の選択でした。
前回も書きましたように、大学院では地震波を使った震源のメカニズム(断層がどうすべったか、どのくらいのマグニチュード化)の研究で修士論文を書きました。

ただ、博士課程に進む気はありませんでした。自分の興味を限定することが嫌だったのだと思います。学者として生計を立てるにはよほどの天才でない限りは非常にレンジの狭いところを突き詰めて世界先端をキープしつづける必要があります。一生同じ分野を・・・ 自分の興味のレンジは広いのでそういった限定的な興味の強制というのは不可能だと思ったのです。

そして、大学院も終わりに近づき、就職シーズン。
私が大学院修了する頃はバブル全盛の頃で、企業からの求人は引く手あまたの状況でした。
国家公務員試験を受けて気象庁入庁という選択もあったのですが、正直、試験が難しいのと配属先が気象庁というピンポイントで叶うかというリスクがあったため、あきらめました。

結果的に、気象庁や東京大学地震研究所にコンピュータシステムを納入している日立製作所にSE(システムエンジニア)として入社しました。

その頃、時間もあったので、ふたたび不思議世界関係の本を読みあさっていました。
そんな時、紹介で知った本が、BASHAR(バシャール)
この本は衝撃でした。

どこが衝撃かと申しますと、これまでの本はどれも「地球人のタッチ」で書かれた本です。
精神世界の様々な分野の本は、いろいろ教えはかかれてありますが、いかにも地球的な匂いの人間臭さが感じられる本で、著者の思考の反映が読み進めるとわかりました。
しかし、このBASHARに関しては、それが感じられない・・・・発想のすべてが従来の地球人とは離れている感があり、これが著者であるダリル・アンカの完全創作であるのは不可能と思えました。

このあたりから、私のスピリチュアルの旅は小中学校時代を第1期とすれば、第2期の時期といえましょう。

日立でシステムエンジニアで働く2年間の配属先は、気象庁でも地震研究所でもなく宇宙技術推進本部でした。その後の進路としては宇宙開発関係専属のSEというものでした。はたから見るとよく憧れられたのですが、自分自身はあまり興味が持てないものだったのです。
また巨大組織というのはタンカーの進路のごとく、進路方向が変えられず、また将来的な会社での自分の立ち位置やキャリアなども2年間でおおよそ見えてしまい、ここにいても自分自身の成長がないなという感覚があり、「ものづくり」の前に「ひとづくり」ありということで、高校教員の道を目指しました。

教員になってから、実はこの会社での2年間の経験というものが非常に役に立つことがありました。
それは仕事の仕方やこなし方、外部の人とのコミュニケーションの取り方などです。
行徳高校で地震前兆電波観測プロジェクトや東葛飾高校でリベラルアーツなど、外部の人との連携で行った事業がたくさんあるのですが、そうした基盤は社会人時代に培った人間力でした。

教員生活21年目で、東日本大震災を迎えることになります。
津波による犠牲や原発事故  大きな衝撃がありました。
人の命や魂とは何なのだろう・・・・
テクノロジーがもたらす光と闇・・・
多様化・複雑化・グローバル化(網の目化)する世界
予測が不可能な世界の歩き方とは・・・

いままでの科学の枠組みでも宗教の枠組みでもない第3極のアプローチ。
それはすなわち、ユニバーサルな見地。
地球の外側から地球を俯瞰して観る。
地球よりずっと進んだ知性だったらどう解決に至るかを想像して、創造的な解決を図る。
それが異星人の思考法であり、それを学ぶのが銀河地球人学校。

そして話は、ブログ 2.銀河地球人学校の目的 につながっていきます。

5.銀河地球人学校を始めた理由ーその2

「銀河地球人学校」を始めた理由シリーズの2回目です。

これまた小学校時代の別の側面のお話です。

私の母方の実家が名古屋で、私はおばあちゃんが大好きでした。
夏休みになると祖母の家に長期滞在し、遊んでもらっていたことをよく覚えています。
おばあちゃんは、毎回僕が名古屋に滞在する際に、書店によく連れていってくれて、自分の気に入る本を買ってくれました。その中で、もっとも印象に残っている本が、小学館の「気象と天文の図鑑」でした。

今では絶版となってしまった本ですが、小学・中学生向けの本だったのでイラストが多く、わかりやすい本でした。自分は嬉しくて何度も観ているうちに、地球や宇宙に関心を持つようになり、将来は地球に関しての科学者になるのが夢になりました。これは自分の将来を決めるルーツになった出来事だと思います。

それと同時に、私が小学生の頃は昭和の高度経済成長期にあり、その闇の部分として四日市喘息・水俣病・イタイイタイ病などの公害問題が盛んに報道され、人間による地球環境の弊害についても強く意識するようになっていきました。なぜ日本人はこんなにも経済を優先して地球環境を汚染しているのかということに心を痛めたことを思い出します。よく環境問題に関する作文なども書いていたような気がします。

中学生の頃は、原子力発電から出る高レベル放射性廃棄物の処分問題などで、なんとなく原発は危ないな、やめた方がいいなという意識なども芽生えていました。
また、当時、小松左京の「日本沈没」という小説が大ヒットし、小説の原作から映画やテレビなどもつくられ、プレートテクトニクスという考え方や地球物理学という学問があることを知り、自分は地球物理を大学で専攻して気象庁に入り、自然災害を食い止めることを仕事にしようと決意します。

高校は伊勢原から12kmほど離れた大磯高校に決まりました。
教室から毎日海が見えるのが自慢の高校で、とてもおおらかな高校時代を送ったことを覚えています。ただ部活動と伊勢原ー大磯の自転車往復で毎日が過ぎていきました。
この、海を眺めることができる高校に通っていたことは本当に恵まれていたと思います。

予備校で1年間、大学受験勉強し、目指す地球物理学科のある北海道大学に入学します。
大学では地球物理学の中で気象学か地震・火山学のどちらを専攻するか最後まで悩みましたが、より地震の予知や地球全体のグローバルなことが研究に興味があったので、地震学・火山学講座を専攻し、大学院の修士課程まで進みました。学部の卒論では地震の予知について、大学院では地震のメカニズム決定(地震発生から数分)の研究で修士論文を書きました。特に大学院では世界最先端の研究に触れることができたこと、世界で誰もやったことのないことを自分ができることの喜び・楽しさを知りました。それを見せてくださった大学で指導してくださった先生方にも、とても感謝しています。

高校・大学の頃は科学をまともに勉強している時期で、小学中学時代に熱を上げていた不思議現象などからはしばらく遠ざかっていましたが、これに対して再び興味・関心が湧くのは社会人になってからになります。


4.銀河地球人学校を始めた理由ーその1

何回かに分けて、この「銀河地球人学校」を始めた理由についてご説明したいと思います。
本日は小学校から中学校についての体験のお話になります。

話は私が物心をついたときにさかのぼります。
幼稚園や小学校時代、いわゆる非科学と呼ばれるようなものに大変興味がありました。宇宙人、UFO、幽霊、ピラミッド、超能力・・・・
私と同じ世代の方はご存知の矢追純一のUFOシリーズ。ユリゲラー来日。
ですから、そのようなテレビ番組や本などをよく読んでいたり、そういう話の好きな友人とあれこれ語ったのを覚えています。

そして決定的な体験が中学1年生の時。
当時は神奈川県伊勢原市内の中学校に通っていましたが、そこからは大山というピラミッド型の形をした山が毎日見えました。
忘れもしない体育の授業中、校庭から大山方面を見た時、山の中腹に葉巻型のキラキラした形の巨大な物体が静止していました。例えると塗装をしていない航空機のように、表面に太陽光が反射している感じで光っていたのです。

不思議に思って、周りの友人に声をかけ、「あれはいったい何だろう?」という話になり、みんながその物体を目撃しました。なにせ大きな物体でしたので、新しい建物が建ったのではないか?という話になったり、「いや、UFOの母船じゃないか?」などとだんだん大騒ぎになりました。よく見ると、やはり建物として山の中腹に建っているのではなく、滞空しているように見えたのです。

しかし、どのくらいたったでしょうか? 授業も進んで、しばらくしてみると、その物体は忽然と消えていました。それもまた大きな驚きで、同級生の間では「あれはUFOだよ。」という話になりました。

それが今でも私にインパクトを与えている原体験だと思います。

その後、友人といっしょに、テレビ番組真似をして、UFOを呼ぼうなどという実験を何度もしました。実際に昼や夜にUFOを目撃もしました。(最初のインパクトに勝る体験はしていませんが)

この広い宇宙には、地球の科学をはるかに超えた文明があり、その訪問者が地球にも来ているのだという確信をその頃から持っています。

いまや、大半の科学者がこの広い宇宙には、われわれ以外にも何らかの生命がいるということに対して肯定的です。生命がいるということは、もしかしたらそれが地球人のように知的活動をするまでに至る生命もあるという論になります。ただし科学者は、何光年も離れた宇宙空間からわざわざ宇宙船をつくって地球に来ることはないだろうと考えています。また、アインシュタインの相対性理論によれば光速は超えられないので莫大な時間がかかるそうした旅をするわけがないと考えているようです。現代科学で考えればそういうふうに考えるのはリーズナブルですね。


しかし、宇宙は広く、私たちの科学文明はまだまだひよこであると思います。
そして私は、自分に起きた原体験から、さらにいろいろと宇宙に関して思いを巡らせることになりました。この宇宙に友人がいるとしたら、いつかコミュニケーションをとってみたいものだという漠然とした希望です。

今では、生涯の中で確かな確信のもと、あの中学校での目撃体験のように鮮明な、異星人とのコミュニケーションをとってみたいということが自分の最大のミッションとなっています。

2015年3月14日土曜日

3.銀河地球人学校の目的地はどこですか?

銀河地球人学校の最終目的地についてお知らせします。


昨日から銀河地球人学校のブログをスタートしました。

この銀河地球人学校の最終ゴールは何でしょうか?


それは地球の全人類が、宇宙にある他の文明のコミュニティにスムーズに参加できるよう準備を整えた状態になっていることです。

これは人間の成長に例えるとわかりやすいと思います。

一般的に人は生まれてからしばらくは家族というコミュニティの中で過ごし、少し大きくなると地域や保育園・幼稚園といった小さな集団のコミュニティに入っていきます。

学校時代が終わると卒業し、社会という大きな海原に出ていき、コミュニティの範囲が広がります。

もちろん、最近はインターネットで小さいうちから世界中どこでも誰とでもアクセスしようと思えばできる環境は整っていますが、基本的にはそういうふうに、年齢・経験とともにより広いコミュニティに所属していきます。

地球人もやがて、銀河コミュニティ もっと広い宇宙のコミュニティに活動が拡張すること
私はそれは必然の流れではないかと思っています。



しかし、もし今の段階で、突然、未知の宇宙存在(それは必ずしも人間の恰好をしているとは限りません)が地球に公然としかも大規模に姿を表したら、我々はその準備もできていないために混乱をし、相手は攻撃対象になるかもしれません。


霊長類の研究者が未開のジャングルで、サルやゴリラなどに接触するときは最大限の細心の注意を払います。彼らの生活を乱さないように遠くから見守り、安心感が得られてから徐々に接近・遭遇していきます。

おそらく流れとしてはこれと似ているのではないかと思います。


テクノロジーは進歩してしていたとしても、地球温暖化や核実験・原発事故のように、それは生態系に深刻な影響を時に及ぼしたりしています。地球は殺戮や環境汚染など、まだまだ広い宇宙から見れば、高度な文明とはとても言えないレベルと言えるかもしれません。


どのような精神性を持って、この宇宙船地球号で暮らしていくのかが問われていますし、まさにそれを学んでいく場にしたいと考えています。